小学校の頃、とりあえず公園(場合によっては、校庭かもしれませんが、とりあえず公園で統一します)にいけば友達がいたという日々を多くの人は過ごされたかと思います。
放課後の約束をし忘れてしまっても、公園にいけば知り合いが集まっていて、サッカーしてたり野球してたり、水風船してたり、何にもしてないでぼーっとしてたりしているので、
何もなくても公園にいけば
「誰かと会える・遊べる」
と思って行ったことはあると思います。
場合によっては、「気になるあの子がいるかも?」と思いながら、公園に行ったこともあったかもしれません。
しかし、
時は経ち、中学・高校・大学と進んでいくうちに、集まる場所が多様化し、行動範囲も広くなってしまい、みんながいる「公園」のような存在は徐々になくなります。
集まるためには約束しないといけなかったりします。
部室・行きつけの店にいる人は、「誰か」ではなく、特定の人だと思います。
誰かいるかもしれないわくわくする「公園」は、消えてしまったのです。
ただテクノロジーが進み、「ソーシャルメディア」が登場しました。
ソーシャル=社会
ソーシャルメディアで世界へ発信!
みたいな言葉も聞きますが、「ソーシャルメディア」は、ネットに出現した「公園」だと思います。
とりあえずFacebookやTwitter(かつてはmixi)にログインすれば、誰かがいる。
場合によっては、「気になるあの子がいるかも?」と思いながら、ログインする。
※mixiのボイスでは、「誰かいない?」とか「いま暇だ~」とかが良くつぶやかれていたそうです。
まさに、かつて公園が果たして機能を担っているように思います。
そのため、「いじめ」も発生しやすい。
(特に地方のような狭いコミュニティにおいて)公園は、小学生たちにとっては文字通りソーシャル(社交的)な場でした。
スポーツができたり、話が面白いやつは、公園にいっても歓迎される。
普通のやつは、歓迎はされなくても遊びには混ぜてもらえる。
いじめられているやつは、遊びに混ぜてもらえないか、そいつをいじめる遊びが始まる。
ソーシャルメディアは、ネット上であるため、直接的ないじめは行えないものの、
かつてmixiが全盛期の頃には、
一斉に友だちから外される
日記を投稿しても反応が急になくなる(もしくは中傷に変わる)
実際に、ソーシャルメディアでのやり取りとリアルでのやり取りが混雑し、殺人事件にまで至ったケースもあり、数年前話題になりました。
つまり、良い意味でも悪い意味でも
「ソーシャルメディア」は、多くの人にとって「(近所の)公園」でしかないのである。
もちろん、いろんな人の近所の公園に面白いポスターが貼ってあったり、面白い人が出没したら、各地で話題になるのと同様のスキームで、ソーシャルメディアを通じて公園を越えたムーブメントを起こすことも可能だとは思います。
結論:
ソーシャルメディアって単語も新しくもバズでも無くなった今、改めて「ソーシャルメディア」って何かって考えたら、ネット上の「公園」でしかないと思います。他人の御用達の公園に、どんな恰好でどんな風に現れたら、遊びに加えてもらえるか企業だったり、ソーシャルで一発当てたい人は考えた方がいいんだろうなと思います(自分も考えないといけない一人ですが・・・)。