2013年6月22日土曜日

上には上がいる。ブラック起業天下一武道会

同期と居酒屋で飲むとやはり、会社の話にはなる。

自分の会社は、ブラックかホワイトかみたいな話題も出る。

そんな話題をした後の居酒屋からの帰り道。

深夜12時を過ぎた恵比寿。

「すみません、いまお時間ありますか?」

恵比寿でキャッチは珍しいなぁと思ったら違ったらしい。

「◯◯不動産の新人なんですが、お話聞いていただかないと帰れないんです、お話だけでも大丈夫でしょうか?」

金曜日のてっぺんすぎまで、ガチガチのスーツ姿で働かされている新人がいた。
不動産屋は、土日休みではないから華金ではないのかもしれないが、それにしても理不尽。
ただ、その場は心を無にして

「ダメです。」

と冷徹に断った。

きっと彼は新人ならそれくらいで当たり前だとか、若いうちの努力は買ってでも云々と刷り込まれて、働かされているのであろう。給料も残業代含めてどれくらいもらっているかわからないが、深夜の恵比寿で生き恥を晒されることに見合う額はもらっていないであろう。

そんな誰から見てもブラックな会社で働く彼を目の当たりにしたら、細かいことはどうでもよくなった。

ありがとう謎の新人君。




それにしても◯◯不動産は、ヤクザなのだろうか。ホームページとか社名的にもそんな香りがしないでもない。
不動産屋で働いている友人に聞いてみよう。

2013年6月19日水曜日

公園とソーシャルメディア

小学校の頃、とりあえず公園(場合によっては、校庭かもしれませんが、とりあえず公園で統一します)にいけば友達がいたという日々を多くの人は過ごされたかと思います。

放課後の約束をし忘れてしまっても、公園にいけば知り合いが集まっていて、サッカーしてたり野球してたり、水風船してたり、何にもしてないでぼーっとしてたりしているので、
何もなくても公園にいけば

「誰かと会える・遊べる」

と思って行ったことはあると思います。

場合によっては、「気になるあの子がいるかも?」と思いながら、公園に行ったこともあったかもしれません。


しかし、

時は経ち、中学・高校・大学と進んでいくうちに、集まる場所が多様化し、行動範囲も広くなってしまい、みんながいる「公園」のような存在は徐々になくなります。

集まるためには約束しないといけなかったりします。
部室・行きつけの店にいる人は、「誰か」ではなく、特定の人だと思います。

誰かいるかもしれないわくわくする「公園」は、消えてしまったのです。


ただテクノロジーが進み、「ソーシャルメディア」が登場しました。

ソーシャル=社会
ソーシャルメディアで世界へ発信!

みたいな言葉も聞きますが、「ソーシャルメディア」は、ネットに出現した「公園」だと思います。


とりあえずFacebookやTwitter(かつてはmixi)にログインすれば、誰かがいる。

場合によっては、「気になるあの子がいるかも?」と思いながら、ログインする。

※mixiのボイスでは、「誰かいない?」とか「いま暇だ~」とかが良くつぶやかれていたそうです。

まさに、かつて公園が果たして機能を担っているように思います。

そのため、「いじめ」も発生しやすい。

(特に地方のような狭いコミュニティにおいて)公園は、小学生たちにとっては文字通りソーシャル(社交的)な場でした。

スポーツができたり、話が面白いやつは、公園にいっても歓迎される。
普通のやつは、歓迎はされなくても遊びには混ぜてもらえる。
いじめられているやつは、遊びに混ぜてもらえないか、そいつをいじめる遊びが始まる。

ソーシャルメディアは、ネット上であるため、直接的ないじめは行えないものの、
かつてmixiが全盛期の頃には、

一斉に友だちから外される
日記を投稿しても反応が急になくなる(もしくは中傷に変わる)

実際に、ソーシャルメディアでのやり取りとリアルでのやり取りが混雑し、殺人事件にまで至ったケースもあり、数年前話題になりました。

つまり、良い意味でも悪い意味でも

「ソーシャルメディア」は、多くの人にとって「(近所の)公園」でしかないのである。


もちろん、いろんな人の近所の公園に面白いポスターが貼ってあったり、面白い人が出没したら、各地で話題になるのと同様のスキームで、ソーシャルメディアを通じて公園を越えたムーブメントを起こすことも可能だとは思います。


結論:
ソーシャルメディアって単語も新しくもバズでも無くなった今、改めて「ソーシャルメディア」って何かって考えたら、ネット上の「公園」でしかないと思います。他人の御用達の公園に、どんな恰好でどんな風に現れたら、遊びに加えてもらえるか企業だったり、ソーシャルで一発当てたい人は考えた方がいいんだろうなと思います(自分も考えないといけない一人ですが・・・)。





2013年6月14日金曜日

ホモやレズは文化でも、ロリコンは画像所持でも捕まる理由

これはあくまでも、個人的な解釈を吐露したものですので御容赦下さい。

ホモ、レズとロリコンを並列で並べてしまうのは、軸のズレをそもそも感じる。

どれも性的趣向といえば、同じカテゴリーかもしれないが、ホモ、レズは、性別に対してのもので、ロリコンは年齢に対するもの。

つまり、ホモかつロリコン(ショタコン?)、レズかつロリコンはあり得る。

そのため、異性が好き、同性が好きというのは、認められても、低年齢が好きというのは、認められないのはなぜかを問わないと論点がズレる。

異性が好きなのは、太古の昔から認められている。
同性が好きなのは、地域差はあるが、認められる傾向にある。
年齢で考えても、年上が好きなことも、犯罪ではない。

上記性的趣向が認められるのは、相手の同意が得られることが可能であるからだと考える。
自分が好き、相手も納得している。それならば自由で良いじゃないか。という発想。

一方でロリコンは画像所持でも犯罪なのは、相手の同意を得られる可能性がないからだ。
相手は性的欲求や知識を持つ前である。そのため、自分が好きでも、相手はよくわかっていない。形式上同意していても、それはダマされているか、理解できていないだけである。本当の意味での同意ではない。

わかりやすく言えば、恋人同士が行為を行うことは問題ないが、レイプは重大な犯罪であるのと近い。

レイプをして撮影した画像を所持していることは、レイプを容認していることになり、危険分子として判断される。
相手が知らないことを利用するというレイプよりも卑劣な方法で撮影したロリコンの画像所持すら許されないのは、その延長線にある。

こんな風に書いてはいるが、ロリコンの規制強化に猛烈に賛成しているわけでも、ホモやレズへの偏見打倒を狙っているわけではない。ただ、単純にホモやレズは認められるのにロリコンはダメなんだよ!っていう詭弁に対して、1人ディベートしたかっただけである。

最後に、個人的な見解を書くならば、ロリコンが社会的に深刻なまでに増えてしまった理由は、同世代の女の子と遊びまっくているギラギラと、ギラギラ以外は人じゃないと思ってるキラキラのせいである。それだけ、キラキラギラギラされたら、影も大きくなる。影は、理解できない故に自分たちを受け入れてくれるロリへ流れる。
ロリコンキモい!小さい子がかわいそう!って言ってるひとが、ロリコンを産み小さい子を苦しめているのだろう。

影を消すためには光も消さないといけない。

2013年6月2日日曜日

5年一昔っていうけど・・・

最近の学生~若手社会人の行動


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しかし、5年前くらいを思い出すと・・・(まだ学生ほやほやの頃・・・)


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mixi

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もちろん、5年前のツールはどれも現役。
しかし、完全に表舞台から姿を消したような気がします。

5年経てば、ツールは進化?変化?するんですね。

ツールを使ってやることは、大抵「飲み会の誘いと飲み会の様子の共有」
この部分は大昔から変わってなさそうですが