2014年7月15日火曜日

静岡市は遊郭の街、ちゃっきりの街

急に地元ネタです。
しかし、地元の人も知らない地元ネタだと思います。

東京に出てきて、いろんな街も旅行して、ふと地元静岡市のことを思うと、自慢できるスポットの少なさに悲しい思いをします。

 

他県の人は、
「温泉!富士山!うなぎ!茶畑!」
といいますが、それは静岡県のどこでもあって、静岡市のものではなく、むしろ微妙だったりします。

そんな静岡市がもっともっともっと推し出すべきは、「遊郭の街」です。

「なんだよ風俗かよ?」

いいえ、違います。
静岡市は遊郭の発祥の地なんです。
花魁の文化の元祖ともいえます。

歴史は徳川家康が駿河にいたころに、今で言うぼくの小学校の数百メートル裏のあたりに、2丁ほどの大きさの遊郭を家臣たちが遊ぶために作ったのが始まりと言われてます。
これは2丁町遊郭と言われてました。

この2丁町遊郭は、蓬莱楼という立派な遊郭を中心に非常に栄えます。
そして、その一部が江戸に移転し、発展していったものが、後の吉原となります。

つまり、吉原は静岡の遊郭の暖簾分けが始まりとも言えます。

静岡の遊郭は、江戸時代が終わっても繁栄を続けます。蓬莱楼は、明治時代に目立ちすぎて怒られるくらい立派な建物であったそうです。

そんな静岡遊郭文化を象徴するもののひとつに、静岡の伝説的な唄である、「ちゃっきり節」があります。

50代以上であれば静岡人ではなくても日本人なら大抵知っている伝説的なご当地ソングです。

これは、狐ヶ崎ヤングランドという大正時代から昭和初期に起きた、鉄道観光ブームに乗じて静岡鉄道が建設した遊園地のCMソングとして作られました。

作詞には当時既に人気であった北原白秋に依頼。
しかし、彼は静岡の遊郭が気に入り、作詞はせずに遊び惚けていたそうです。
そんなある日に、遊郭の芸妓が、「明日は、カエルが泣くんて、雨ずらよ」と言ったそうな。
それを白秋はひどく気に入り、一気にちゃっきり節を書き上げたと言われてます。
まさに、遊郭が生んだ唄であると言えます。

ちゃっきり節は、地元民や静岡の遊郭で瞬く間に人気になりました。
そして、静岡遊郭の出身者が割と多かった東京の遊郭でも静岡出身の芸妓がちゃっきり節を唄い、東京でも浸透していったそうです。

そして、全国的に爆発したのは、美貌と美声で当時のトップ芸妓であった市丸にレコードを依頼し、発売したことがきっかけでした。

レコードは全国的に売れまくり、テレビやラジオで流れ続け、ちゃっきり節はご当地ソングから、国民的な民謡へと昇華しました。

つまり、作られたのもヒットしたのも芸妓があってこそでありました。

そんな静岡の遊郭は、1945年に空襲で焼失してしまいます。

その後、建物も文化も再建はされておらず、むしろ地元民ですら知らないという悲しい状況です。
※いまの跡地は防災センターになっており、吉原のような名残すら感じられません。


アピールできることが少ない地元静岡市ですが、日本の遊郭文化の発祥の地であることはもっと推し出せば良いのではないかと思います。

遊郭は、現代の風俗とは似て非なるものであり、ちゃっきり節のようなものを生み出したことも事実です。

このような観光資源や歴史的財産を大切にできない地元が悲しくて、つい書いてしまいました。

最後まで読まれた方は、お付き合い頂きありがとうございました。